犬は月をめざす

もっとブワァー!ときてボーンと!

『華氏451』を観たんご。

華氏451 [DVD]

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「考える暇を与えるな。幸福になれる」

華氏451』の世界では、本は反社会的として読むのも持つのも禁止され、消防士は焚書士として仕事をしている。火を消す仕事が、火を付ける仕事になっている。なんとも奇妙キテレツな世界。 主人公のモンターグは、消防士として本を焼いているうちに隣人クラリスや老婆の姿に心を動かされ次第に本にひかれていくのだが…というストーリー。

原作者のレイ=ブラッドベリは、華氏451では「テレビによる文化破壊を書いた」と言ったそうですが、今やそのテレビすら衰退しておりますし、ついでに読書も衰退していっております。テレビの衰退は、読書の復権にはならなかった。

「考える暇を与えるな、幸福になれる」と、主人公モンターグの上官が言います。これは決して嘘ではない。 危険だけど、嘘ではない。 思考停止できるのは、平和の証でもあります。平和だから思考停止できる。 追い詰められてる状況下での思考停止は単なるアホですけども。

大概、ものすごい力や知性が出るときって追い詰められてる時なんですね。夏休みの最終日にモーレツに宿題を仕上げるあのパワー!火事場の馬鹿力とはよく言ったものです。

しかし、思考停止したままでは、平和は維持できません。人間も動物ですので、思考停止した脳みそは原始にかえるのか、愚かな行いを繰り返す可能性大大大です。せっかく大変な知力が積み上げた平和が一瞬でパァになる。それは避けたい。

平和でいたい。 でも思考停止もしたくない。 そんなワガママなアナタのために考え出された対策の一つが! 仮想敵国じゃないけど、仮想絶望、いわゆる終末思想です。 終末思想とは生き延びるためのシステムで、世の中が平和になればなるほど必要になります。

この映画では、本を焼く大義名分として、「本は人を不幸にする」といいます。(そういえば上官がやたらに本に詳しいのがめちゃくちゃ気になった、絶対本を読んでいるとおもう) 潔癖なまでに平和で安寧を求める社会において、これはあながち間違っていない。 三島由紀夫は「一番おそろしい崖っぷちへ連れていってくれて、そこで置き去りにしてくれるのがいい文学である」と書いています。

本を読むと崖っぷちに連れて行かれる。 そこで大事なのは、それは仮想であるということ。そこを勘違いしちゃいけない。もちろん仮想が場合によってはホンモノになる可能性だってあるんですけども、それは置いておいて、仮想は仮想です。 あくまで生き延びるためのシステムです。

その生き延びるシステムを否定する社会。 生きるとは葛藤そものもでもあるのに、ああ、幸福であることの追求は時として怖いものです。

本は生き延びるためのシステム、仮想的絶望を人々に与える役割を、長いこと担ってきたんじゃないかと思うのです。 仮定の物語以外に絶望を捏造できるものって、あまりないとおもうんですね。 創造とは、生きる活力そのものでもあります。 ある個人が遺した生きた活力の結晶を、自分のなかに取り込み、生きてゆく。

読書にはそういう作用があるのでは、と 思った映画でした。あーーもーー色々考えすぎてつかれた!ぶっちゃけ読書に限らずおもしろければなんでもいいとおもうよ!あっはー!